開腹子宮全摘手術 + 両側卵管切除術の記録

2018年12月5日入院 / 6日手術 / 14日退院 + それから

術後 / 1日目

手術から戻ってしばらくは興奮しているし、がっつり麻酔が効いているしで痛みはあまり感じなかった。その後、熱はぐんぐん上がり、38度から39度をいったりきたりした。ものすごく寒くてぶるぶる震えてみたと思ったら、次の瞬間ものすごく暑くなって汗をダラダラ流している。身体が完全におかしくなっている。

点滴、抗生剤の投与が続く。自己血が身体に戻される。両手に管がつながれている上に術後から足にフットポンプがつけられている。これがまだうっとおしい。着圧ソックスも装着しているが、脚がパンパンに張っている状態で脱がされたりまた膝まで上げたりを繰り返してその都度脚の状態を確認してくれるのだけれど、ぴったりと肌にくっついて(食い込んで)いるものだから、ぐいぐい引っ張られるとものすごく痛い!我慢、我慢!

午後、高熱は下がらぬまま立ち上がる練習。時間をかけてベッドサイドまで起き上がるも、大量の汗が出て止まらない。看護師に「今日はやめましょう」と言われて終了。また横になるまでが一苦労。

 

 

 

 

手術当日 / 術後

付き添いの2人は20時前まで側に居てくれた。
術後初めてお水を飲んだのは深夜0時30分。興奮しているのか眠気は無い。
痛みも感じない。

朝までうつらうつら、浅く寝ては起きるを繰り返す。朝5時半頃、背中に麻酔は入っていたものの、それだけでは強い痛みは治まらず座薬を入れてもらう。じきに楽になる。こういうものは我慢しないで使いたい。ああ、個室はありがたい。思う存分じたばたできる。

それにしても痛い・・・(つづく)。

手術当日 / いってきます

お昼頃オペ室の看護師が慌ただしく部屋へ入ってきた。
私の前の人の手術が予定よりも早く終わりそうなので、手術の時間が1時間早まるかもしれないということだった(当初のオペ開始時刻は15時)。今からもうお水は飲まないでねと言われる。慌ててオットと母にメールを送る。手術中は誰かに居てもらう必要がある。

13時半過ぎに夫、夫の母、私の母が駆けつけてくれた。
いよいよだね〜とのんきで話す三人の話を聞きながら、私は緊張してくるのを感じていた。やばいよ〜落ち着け〜と心の中で叫びながら待機。この時間が一番怖かったかも。

14時にお迎えが来るはずが14時半に。最終確認をした後、歩いて手術室へ。家族とは病室でお別れ。いつもとは違う手術室行きの専用エレベーターに乗る。

手術室に到着するとそこには立派な受付がありバーコードをかざす。結構人がいる。髪をまとめて紙の帽子を被る。ここで、婦人科の看護師からオペ室の看護師へとバトンタッチ。

病棟勤務の看護師とはナース服は違うんだな、ずらっと並ぶ銀色のオペ室は10〜12室くらいか、大きな冷蔵食品の倉庫みたい。そんなことをぼけっと考えながら2番のオペ室へ。この段階を迎えると、まだ麻酔も何もしてないのに、身体が持つ防衛反応なのか、感覚がぼやーんとするスイッチオン。

手術室は結構雑然としている。もっと何も無い空間なのかと思った。真ん中にベッドがある。それにしてもここは寒い(でもベッドは温めてあるようで気持ち良かった)。

すぐにベッドに横になりいろんな器具をつける。生年月日等を聞かれる。
早速麻酔へ。身体をぐっとエビのように曲げて麻酔の前の麻酔をする。

麻酔をする場所を確かめている?何度も背中を触られる。なかなか位置が決まらないみたい。もしかして肉が付きすぎてる??!!ここで一瞬心配になる。動揺して首が動いたら「危ないから動かないでっ!」と美人麻酔科医に一喝される。私の背中を押さえてくれている看護師が自分のガウンの裾を指差して「落ち着くようなら裾をぎゅっと握ってください」と言ってくれる。お言葉に甘えて握らせていただく。

背中には、例えるともう既に空気がたくさん入っていてこれ以上は入る余地がない場所へ細い管がムリムリと音を立てて入ってくる感じ。決して割れない風船になった気分。痛いよー!と叫び出すようなものではない。

執刀医の先生はベッドの周りをぐるぐると歩き回っている。
横向きに海老の形をとって丸まっている私の顔を覗き込んでガッツポーズ。相当青ざめた顔をしていたと思われる私も思わず笑顔で応える。私を治すためにここに居てくださる人たちがいる、さあ、ちゃんとして!

今となっては順番がよくわからないのだけれど、その後仰向けになってから鼻と口にマスクを当てられる。深呼吸してくださいね〜と言われる。これで眠くなるのかな〜と思ったけど、眠くならない(これは酸素マスク!)。これから意識をなくすためのお薬を点滴から入れますと言われてから、突然これまでの生き方に対する懺悔タイムスタート(自分でもびっくり!)。もしまたチャンスを与えてもらえるのであれば、もっと強くて優しい人間になるように努力します・・・などとやりだした!😅

麻酔薬が身体に入ってくる。もわっと身体全体が持ち上げられる感じ。うわ、これから気持ちが悪くなるのかなと思ったけど、そんな感じにはならない。そうか、ならないんだな・・・と思ったところで記憶は無い。

◯◯さん・・・◯◯さん・・・。
名前を呼ばれている、私は「はい」と言っている。終わりましたよと伝えられて「え?もう?」と思う。先生のうれしそうな顔がぼんやり見えた。

体感時間は1分くらい。実際の手術時間は2時間28分。そのあとは術後の処置。覚えていない。先生が笑いながら「◯キロだったよ」と声をかけてくれる。え?摘出した筋腫の重さを言ってるの?6kg?まさかね。

ぼんやりした状態の中で「お部屋に行きますね」、と言われた時はものすごくほっとした。病室へ戻ったのは18時45分頃。

16時半過ぎに「手術が長引いていますが、順調に進んでいますから心配しないでください」と病室で待つ家族に連絡があったそうだが、それまでは戻ってくるのが遅くて気を揉んだらしい。

夫はベッドごと病室へ戻った私に何か話しかけたそうだけれど、朦朧としていてノーコメントだったらしい。けれど顔はへらへら笑ってたんだって。怖っ!

 

手術当日 / オペに備えて準備

前日は不安で眠れないかもと思っていたけれど、あっさり寝られた。途中深夜2時半と4時に救急車がサイレンを鳴らしながら病院へと飛び込んできた。ここは助ける人と助けられ人が日夜問わず向かい合っている場所。運ばれてきた人たちが助かりますように。そしてわたしは良い患者として手術台に上ることでベストを尽くそう。

朝6時半過ぎに「おはようございまーす!」と元気な看護師登場。
血圧と体温測定の後、朝から除毛処置&おへそのゴマ掃除。
ヒャー、こんなことまでしていただいて申し訳ない・・・という気持ちになる。

その方は処置を行いながら、「わたしね、手術を受ける患者さんはほんと勇気があるなあって思うの。わたしは手術は絶対にいや、怖くて逃げる!だから手術を受ける患者さんを尊敬しちゃう」と言われる。こ、これは・・・励ましのお言葉として受け取っておくことにする。

朝食後のMYなんちゃって瞑想中。主治医の先生がようすを見に来てくださる。私の具合よりも、先生の体調が良さそうで安心。

瞑想中も何か物音がするとビクッとする。全く瞑想状態とはほど遠い。お腹が空いてきた。

・怖いって気持ちはどこから来るのだろう?先生達を信頼していないの?
(いや、してる。なら、大丈夫!)

・痛そうで恐ろしい。
(これまでもいつ終わるのかわからない強い痛みに苦しんだことはあったよね。今回は病院にいるから安心だよ。痛み止めも必要な時にすぐ処方されるのだから大丈夫!)一人二役で押し問答 😅

あと何時間か後に迫った手術。手術室に入ったら客観的に自分を観察してみよう。この貴重な体験は一度きりなのだからぐるっと周りを見渡して何があるのかよく見よう。オペ室ってドラマみたいなのかな?手術用のライトはいつ点くんだろう。あれものすごく眩しそうだな。そして麻酔の時はみんなの笑顔を思い出そう。遅くとも今夜19時にはまたみんなに会えると信じて。

そうと決めたら気持ちが随分と楽になった。


 




 

 

 

入院当日

10時までに病院で入院手続き。

朝はお餅とミネラルたっぷりの海苔味噌汁。

病院へ向かう道のりは確かに怖かったけれど、9月から(いつ手術するのかな?)と思いながら暮らしてきたので、いい加減考えるのに疲れ果ててしまい、早く全てを終わらせたいという心境。いざ出陣!しかし、この後に及んでまだ(やっぱり手術しなきゃだめ?)ともう一人の私がざわついている。

そうこうしている間に病院到着。既に心は疲れ切っているわたし。
いよいよ入院か。

いまお昼が運ばれてきた。予想以上に美味!明日オペ!(本当に?誰が手術するって?←まだ言ってる)

10時に入院をしてから、もう既に、主治医、麻酔科医、看護婦長、担当看護師、オペ室看護師、栄養士、お茶やご飯を運んで下さる方々、たくさんの人にお世話になっている。やばい、こんなんじゃ逃げられない。

そしてRちゃんがいきなり病室にやってきて、良い香りのするブラジルの石鹸をくれた。これでね、パンツ洗うといいよ、って言いながら。

硬そうな木の十字架も渡された。私たちどっちもクリスチャンじゃないけど、こういう時はいいよねって。私のパワーたくさん入れといたから大丈夫!なんですと。
うれしくておかしくて吹いた!

オットは仕事がひと段落したとはいえ、忙しいはずなのにずっと私に付き合ってくれた。病室でパンをもしゃもしゃ食べながら話し相手になってくれたり、本を読みながらただそこに居てくれた。

ただ一緒に同じ場所で時間を共有する。自分がその人に渡したいと思うものを直接渡しに行く。何の根拠もなく大丈夫と言ってくれる。でも怖いよね、心配だよねとハグしながら。

明日は私以上に不安顔の母がやってくる。私は母に助けが必要な時に側にいなかった。逃げた。またもや娘であることに甘えてしまう。



入院時に持参したもの

事前に病院から「入院のご案内」という冊子を渡されます。それによると必要なものは、

・健康保険証
・洗面用具(シャンプー・リンス・石鹸・タオル・下着類/ショーツは普段のサイズよりワンサイズ大きめを準備)
・湯呑み(配膳時に「配茶」があるため、歯磨き用とは別に必要)
・上履き(滑らず履きやすいもの)
ティッシュペーパー
・イヤホン
・ハンガー
・パジャマ(病衣を借りる人は必要なし)

以上

持参するものは全て家にもありましたが、なるべく楽しく快適に過ごすためほとんどのものを新調しました。待機時間が長かったこともあり、少しずつ気に入ったものを買い揃えスーツケースに詰めていきました。

ただし、予想以上に手術後は身体が大暴れするよ、と聞いていたので、4日目までは病院の病衣を借りました。汗をかいたり汚れたりすると交換をしてもらえたので、大変助かりました。4日目の午後にシャワーを許可されてからは持参したパジャマに着替えました。ここでぐっと気持ちが「解放モード」に入りました。

その他に、婦人科で開腹手術を受ける人は、

・紙オムツ2枚
・生理用ナプキン(夜用7日分)
・曲がるストロー1本

とありました。
紙おむつは、どのタイミングで装着するのかな?と思っていましたが、自前のショーツをはいて手術室へ入ったのに、終わって戻ってくると紙おむつを装着していました!

この紙おむつ、私は2枚では足りませんでした。何らかの薬が反応したということでしたが、2日目、3日目と激しく下してしまい、オットに頼んで追加の紙おむつを購入してきてもらいました。この場合、自分では交換できないので、看護師の方々が作業しやすいように「パンツタイプ」ではなく「バリバリッと装着するタイプ」である必要があります。夜中に看護師の方々を呼んで交換していただく時間・・・本当に申し訳なく感じましたが、もうその時はそうも言っていられず・・・人間一人じゃ生きられないんだな、と思いながら激痛の中身悶えながら替えていただいておりました。

曲がるストローは、手術後は思うように起き上がることができないため、ペットボトル等にストローをさして横たわったまま水を飲ませてもらうために使用しました。

私の場合、ナプキンは術後使用しませんでした。

 

 

 

入院前日 / 遺書を書く

遺書なんて、子宮全摘手術でしょ?と笑われてしまいそうですが、世の中何が起こるかわからない。この3ヶ月「万が一」の説明を病院で多々受けてきたので、その「万が一」を踏まえて書きました。

とはいえ、A4のコピー用紙一枚を使って夫宛に「ありがとう。これからも幸せでいてね。」(要約すれば)と書いただけで、特別なことは何も。こういう時って何も思いつかないものですね。

明日死にますと言われても、紙に気持ちを残すことぐらいしかできない気がします。そして大したことは何も頭には浮かんでこなくて、ただただ大好きな人たちがこれからも元気だといいなあと思うくらい。

 

バランスが取れているってどういう状態?

心は揺れ動くけれど、どっしりと、私の中で変わらないものもあって、そこでバランスを取っている。

時々重心がどちらからに思い切りずれてアンバランスになるけれど、それもまた違うところから見れば釣り合いが取れているのかも。

おっと、気づいたらもうこんな時間!集中するといつまでも作業を続けてしまう。
手術前に納品をしたい仕事があって、連日夜遅くまで作業をし続けてしまう。
見ていただく方々に喜んでほしいと思うとなかなかやめられない。

でも、今日も朝から椅子に座りっぱなしだから、運動を兼ねて図書館まで本を返しに行こう。脚のむくみがひどくてもうパンパン。硬くて指も入らない。15分の散歩道はちょうどよい気分転換になるし、さあ行こう。

と思ったけど、雨が降ってきたのでやーめた。お茶飲もっと。

不安をどう扱うか。どうして恐怖を感じるのか。このビビりめ!

スーツケースに入院に必要なものを詰め始めた。
まるで10日間の旅行に行くような気持ち。新しいパジャマもプレゼントしてもらった。準備はあっという間にできた。後は体調を整えて病院へGO!するだけとなったものの、肝心の私の気持ちがまだ整っていない。このびびりやめ!

全身麻酔経験のある人生の先輩に、「そんなこと心配してたって仕方がないんだから!」と言われ、確かにそうだな、と思いながらも(そう思えないからびびってるだよー!)と反抗したくなる。

では実際に毎日何をしているかというと好きな食べ物を美味しく食べる日々を過ごしている。後は無理をしないこと。相方には呆れられるがそんなに変われない。

手術前の準備 / 美容院へ

放っておくと、白いものが目立ってきてしまうのでカット+和漢カラーというものをしてもらっています。ただ染めるよりはダメージは随分少ないように思います。

手術が終わってからどのくらいで出歩けるものなのか不明だったため、今回は手術の2週間前に美容室へ予約を入れました。

<退院後メモ> 個人の体調の差はあると思いますが、退院後1週間から10日でシャンプー台に乗っても、あいたたた、と言わない程度回復できるように思います。

心配の正体

何が私を怖がらせているのだろうか。

1位:手術は痛いよね?

2位:手術をして本当に復活できる?

3位:・・・あれ、無し?!

二つの理由で私はこれまで体調がすごーく悪い状況をやり過ごしてきた。

でもそのために、こんなに大変な状況になってしまった。

旅に出たくなる

何かせずにいられなかった。
家でできる仕事に熱中した。どんどん集中した。
でも家の中にずっといると、不安になってたまらなくなった。正体不明の不安に私は苦しめられていた。

じっとしていられない。もし何か起こったら?そう考えると居てもたってもいられなくなった。もっと見たいもの、したいことがたくさんあるのに。

Oちゃんは「死んでも構わない」と言って、亡くなる3ヶ月前に1,000kmのドライブに出かけた。それまでも入退院を繰り返していたから、周りの人間は全力で止めた。でも彼は振り切って旅に出た。
段々と思い通りにならなくなる身体。手術をしても良くなるとは思えない状況。今度入院をしたらもう出られないかもしれないという恐怖。でもそういうことは誰にも何にも言わなかった。怖くて言えなかったのかもしれない。黄疸で真っ黄色になった顔で、今度はここへ行きたい、ここで美味しいものを食べさせたい、奥さんは長距離ドライブを嫌がるけれど、でも上手に連れ出したい。Oちゃんがどういう気持ちで話していたのかわからない。お見舞いにいくと、いつも未来の話をしていた。もう一度旅に行かせてあげたかったし、一緒に美味しいものを食べに行きたかった。せっかく誘ってくれたのに、行けなかった。いつも前を向いて笑っていたOちゃん。周りの人を幸せにすることだけを考えていた。何に対しても「いいぞ」と言ってくれた。私たちは何のために生きて、働いているのかを教えてくれた人。ここのところ、毎日思い出している。